ぴーこさん江 石龍作
 
ちーちゃんの戯れ言パンチ
 
 

 
 
「ずいぶん遅くなっちゃったなあ・・・・かなり迷ったし、道間違えたし・・・」
 
そんなことをいいながら、時間は夕暮れすぎである。
 
とある高校、別に校名を隠す必要はないのだが、「P高校」としておこう、釣りキチ三平ではあるまいし、校名を明らかにしたからといって大勢の釣り師がやってきて授業の邪魔になるとか、はたまた可愛い子が多すぎてカメラ小僧の校内侵入を防ぐためとか、そういうわけではないのだが、とにかく。P高校である。
 
そのP高校の正門から入ってきた女子高生がいる。
 
セリフから察するにいまにも遅刻しそう・・・といったところだが、状況から考えるとそんなはずはない、今は夕刻下校時間なのだから。
 
ちなみにその娘はP高校生ではない。制服が違う。
 
それから、手続きにやってきた転校生でもない。
 
 
「帰りの電車、大丈夫かな・・」
ちら、と携帯の使用で近頃めっきり珍しくなった腕時計を見て、そんなことを呟く。
 
もはや下校時刻にも遅く、こってり部活をやってきた生徒たちにしてももう帰ろうかという時間帯である。すれ違うP校生徒たちは、異なる制服の他校の子にすこし奇異な目を向けるが、その手にあるのは普通の学生カバンと和菓子の箱であり、なんらかのイベントの挨拶に来た生徒会役員かなにかかしらん、と勝手に察しをつけて納得すると、寄り道の計画などを話ながら、そのまま帰ってしまう。
これがナイフや散弾銃だと警察を、チェーンや金属バットなら番長を呼ばねばならないが、その娘のいかにもさわやかスポーツ少女、イメージカラーは水の青色、という健康的な雰囲気は、すんなりとP高校内を進ませた。そして、そのまま部室棟へ・・・
 
 
その娘の名前は、桑島夏樹(くわしま・なつき)という。
 
 
もうちょっと早い時間帯に来るはずだったのだが、こんな遅くになってしまった。
まあ、用事はすぐにすむことだけれど。長居する気はない。ささっと伝えることだけ伝えて、土産の和菓子の箱を渡せば、それで終わりで、帰る・・・・。
 
高校のつくりなどどこも似たようなものなので、さすがに迷うことはないだろう。
時間のこともあるので、ささっと足早に歩いていく。そこらに残る生徒に聞くまでもなくだいたい見当をつけた部室棟が見える・・・・と、なぜか速度が緩む桑島夏樹。
今までが馬ならば、いきなり亀になったようなもの。
 
 
「あ・・。うーん・・・・・」
おじけづくくらいならば、そもそもここまで来やしない。用を済ませば、すぐに帰るのだ。
 
 
「こういうのって・・・・ちょっとあれだったかな・・・・」
躊躇している内に、辺りはどんどん暗くなる。その用とやらは桑島夏樹にとって、その心持ちにおいて微妙なところに位置するものであるらしかった。
かといって、和菓子の箱をもってお目当ての男子(たぶん、かっこいいスポーツマン)に告白でもあるまい。ちなみに今日はバレンタインデーでもない。時間が遅くなっても今日、直接来なければならない「用事」・・・・・このお手軽な時代、携帯で済ませられない用事とは・・・・なんなのか。
 
 
桑島夏樹がもうちょっと迷ってる間にばらしておこう。
 
 
あっさり言うと、「ライバルに会いに」きたのである。
 
いると憎たらしいが、いなくなるとさびしい、とまで苛烈な感情があるわけではないが、あえて分類するならそうなる。
競争相手、というか、好敵手、というか。あの人には負けたくない、と思わせる、光を感じさせる自らの影、闘争心の呼び水、人生の活力源、いいかたはいろいろあるが、桑島夏樹は、自分で認める「今度の試合の対戦相手」に会いにきたのであった。
 
確かに、こういうのは、今時、ちょっとあれ、ではあった。 自覚は、あるのだ。
 
いくらなんでもそこまで熱血じゃない、とは思うのだけれど・・・・
現にこうしてやってきてしまっている。半分は勢いのようなものであるけれど。
 
 
ライバルの名前は、日比野 千歳(ひびの ちとせ)
 
ちなみに、向かい合うのはボクシングのリング。
つまり、二人は陸上競技でも手芸でもソフトボールでも水泳でもなく、ボクシングのライバルなのであった。
 
前回、腕前を競い合った時には、あと”一歩”というところで負けてしまった・・・。
 
そのことを想うと、ずん、と腹部が疼く。日比野さんはそれが初めての試合だったというが、セコンドの声援に応えるように、恐れず怯まず、そのおっとりした外見からは信じられない激しい闘志をもって最終ラウンドまで戦ってくれた。試合中はひたすら、負けるもんか!としか考えてなかったけど。初試合とは思えない粘り強さがあった。手強い・・・それだけに、勝ちたかった。試合数の経験差など関係なかった。多分、才能的には彼女の方が上なのだろう。こちらの突進を止める見事なアウトボクシング。それでもインファイトで食らいついていく。相手が初試合なんて関係ない、ただ勝ちにいく。ポイントの計算もなく、ただ離されずに殴りにいく。それが唯一の必勝の方法。懐に入ればこっちのもの。
向こうの距離を殺す・・・・こちらの、青の領域に相手を捉える・・・!捉えた!
確かな手応えの右フックをうちこんで、鼻血を散らせながらグラついた相手にとどめとばかりに渾身の左ストレートを・・・・相手のセコンドから「ちーちゃん!」という悲鳴にも近い呼びかけの声が届くより早く・・・・これで勝負は決まった、と思ったあの瞬間。
 
”一歩”懐に踏み込まれてのあの強烈なボディブロー・・・・・。
 
どうしても立ち上がれなかった。深い海の底にとらえられたように。呼吸が。
そして、テンカウントが数えられて負けた・・・・KO、それは十秒間だけ戦闘力が奪われると云う理想的な勝利であり敗北。
 
 
そこまでの様子は忘れることができない。敗北の悔しさも、無論あるけれど、疑問が、不思議に思うことがあるからだ。距離をとって戦うことに長けていた日比野さんが、なぜ、あの一瞬、いきなり一歩踏み込んでこっちの懐に入ることができたのか・・・・?
それが才能、といえばそうなのかもしれないが・・・・
 
 
いい試合だと思う。負けたこと、特にボディをやられてうずくまったままテンカウントを聞く悔しさは二度と味わいたくないが、それでも忘れることができない試合。
 
あれから、試合で負けていない。こっちは才能なんてないから、追いつめられて負けそうになったことも、と云うか、たいていの試合はそうなのだけど、なんとか負けることなく勝ってきた。楽勝、なんてことはなかったけれど、苦しい試合も凌いで勝ってきた。プロテストを受けたという年長格上の選手にも、大苦戦して逆転勝利を収めたこともある。
プロになる・・・・そんな選択も頭に浮かぶようになっていた。
その前に、どうしてももう一度、戦いたい、そして勝ちたい相手がいる・・・・
 
 
それをライバルと呼んでなんの不足があるだろう。
 
 
日比野千歳とは再戦を希望していたものの、私闘や決闘ならばともかく、高校生同士にそうそう適当な大会があるわけではない。かといって、部活動やっているところにいきなり乗り込んでいって、さあ、リングにあがって!試合しましょう!というわけにもいかない。確かに舞台もあるし手っ取り早いがそれではケンカとさして変わりはない。
 
 
次、対戦すれば必ず勝つ気でいるし、ライバルにやりかえすにはそれなりの舞台が好ましかった。しかも、大会に参加したからといって、必ず本命の相手にあたるとも限らない。だが、念ずれば通ず、というのか、その願ったり叶ったりの機会は、昨日、向こうから舞い込んできたのだ。
 
 
隣の県にある”大人も子供も痩せられる運動健康ランド”というのが今度、オープンするらしい。一日で3キロ痩せなかったら入場料は半額お返しします!というのが謳い文句。要は経営が傾いた地方遊園地を健康食品の大手メーカーが買い取ってコンセプトをもとに大幅改造したアスレチックジムなのだが、運良く改造途中で温泉も出たというし、肥満増加が問題になっていることもあり、もしかしてうまいこといくかもしれないが、経営の問題はあまり関知することでもない。どこが関係するかというと、そのオープン記念のエキジビジョン・マッチに出て欲しい、という依頼の葉書が家に届いたことだ。正確には、その葉書は郵便屋さんではなく、主催者から依頼された選手が都合がつかないので夏樹に代わりに出てくれないか、ということで持ってきたのだ。その選手はこのところ通っているボクシングジムの先輩の人なのだが、どうしても都合がつかないのだけど、ジムから人を出さないといけないらしい。まー、義理というか大人のしがらみというか、いろいろあるのだろう。これも社会勉強、と引き受けてみる。「ファイトマネーもでるから」ということらしいが、事前の会場設営なんかも手伝わないといけないらしい。それではただのバイトじゃないのとは思ったが、話を聞くと、エキジビジョンの中でも、自分がやるその位置は前座であり、メインはやはりプロが張るようだ。かといって、大っぴらに有名選手を連れてこれるわけもなく、まだ若いプロなりたて、もしくはアマチュアで名の知られたレベルを集めて、あとはケガをしないレベルの頭数を、という感じなのだろう。お金の関係なのだろうが、別に異論はなく。経験も積めるし試合が出来るというなら行ってもよかったので、引き受けてみると、驚くべき事が判明した。
 
 
対戦相手が・・・・・・・日比野千歳(高校2年)、とある。
 
 
目を疑って何回も確認してみたが、たしかにそうある。こんなイベント試合でお目にかかる名前じゃないんだけどなあ、と考えてみる。そして、マッチメイクを書いてある葉書をすこし視線をずらしてみると、メインの試合のひとつに「高梨美月」の名前があった。
たしか、高校生ですでにプロになっており、なおかつあの時の試合、日比野さんのセコンドについていたのが、この高梨美月さんだったような・・・・・
 
その関係というかつき合いでの参加なのだろうか・・・・・いや!それはどうでもいい!
大事なのは、前座、とはいえ、けっこうな人前で(オープンイベントだし、お客さんは多いんじゃないかな)試合となると、高校生の身分ではセミプロ的に晴れの舞台といえる。
主催者が名の知れた会社となると、裏の世界みたく、「水着で試合せよ!」とかいう無茶な話にもならないだろう。いくら客寄せとはいえ。いや、これはちょっと妄想の膨らみすぎか。とにかく、この貴重なカードを譲ってくれたジムの先輩には大いに感謝、向こうはめんくらっていたみたいだが、「じゃ、じゃあ、がんばってね。応援もできないけど」そういって帰っていったが、送りながら心はすでに試合会場に飛んでいってしまっていた。
 
 
日比野さんと再戦できる!・・・・・その高ぶる想いは、向こうも当然知っているだろう、今回の組み合わせをわざわざ出向いて知らせねばならないほど。
 
 
なんらかの手落ちで、対戦相手の変更が知らされず、当日になってリングの上で、あれ?とか首をひねられたり、「なんかの間違いじゃ?」とかあっけにとられるのも、なんか切ないし。
 
 
そのために、わざわざやってきたのだ。自分で伝えるために。それなら間違いはなく、学生の身分上、出来る限りの最速で、やってきた。・・・・ちょっと道に迷ったけれど。
だいたい事情はこのとおりである。そして、
 
 
「よ・・・よし!行こう!・・・・・せっかく、ここまできたんだし!」
腹を決める桑島夏樹。ここで回れ右するほどまだ血は冷めていない。歩を進める。
校内はかなり暗くなっている。これで日比野さんが帰っていたらかなりバカっぽい。
 
でも、たぶんまだ練習しているだろう・・・・
もし、そのくらいでないのなら、今度の試合は・・・・・がっかりするかもしれない。
 
そんなことを考えていたら、ふいに!!角の向こうから
 
 
 
「うわああああああっっっっ!
ち、ちーちゃん、ゆるしてええ・・・・」
 
悲鳴というか、苦悶というか、誰かが大きな声で許しを乞うている。
なにこれ?!身体が緊張し、立ち止まり、身構える。すぐにそちらに駆け寄らなかったのは、その声に聞き覚えがあったのと、「ちーちゃん」・・・という単語のせいだった。
 
 
日比野千歳・・・・
 
 
その呼び名はおそらく彼女のもの。悲鳴をあげているのはたしか、高梨美月さん!?
高校生プロボクサーでありながら、デビュー以来今の所負け無しの連勝街道の!
今度の試合では一応、メインを張ることになっている。
ちなみに、イメージカラーは紫。コーチと同居しているとかいう拳闘一直線ぶりでその歳にあわぬ基本能力の高さと勝負強さで注目を集めている選手・・・・
たとえは古いが、女子ボクシング界のキャプテン翼みたいなもの。
座右の銘は「グローブはともだち!こわくない!」・・・・ではなかろうか。想像。
 
 
そんな人が、今こうして、角の向こう側、すぐそばで。
きゅーきゅーと哀れな泣き声をあげている・・・・
まるで、圧倒的な実力差のある者と立ち会い、それを思い知らされたかのように
いくらこの時間帯にあまりまわりに人がいないとはいえ、プロのボクサーが・・・・
 
 
桑島夏樹は慄然とする。
 
しかも、聞き間違いでなければ、その声をあげさせているのは・・・・”ちーちゃん”
「彼女」なのだ。暴漢に闇討ちされているとか、そういうことではない・・・・
 
 
「うそ・・・・・・」青ざめる。自分のつぶやきに唇が冷たい。嘘だと思いたい。
こーち、・・・コーチ、といったのを聞き間違いたんではないか・・・・ふと思いつくが、
 
 
 
「もうすこしで、つかめそうなんです・・・もう少し・・・!」
 
 
聞こえてきたのは、確かに彼女の声。ちーちゃん、は日比野千歳だった・・・・。
 
高梨選手をどうにかしている・・・痛めつけている、ということになるだろうか・・・のは、たしかに、日比野さん。今から、会いにいこうとしていた、忘れることのできないライバル・・・耳をすませば、ボクシング部はまだ活動中のようであり、耳慣れたサンドバックやリングが軋む音が聞こえている。「脇が甘い!もっとコンパクトに!」「は、はい!」鋭い指導とそれを受ける声もする。他にも人がいるなら、止めてあげればいいのに・・・そう思ったが、どうもこれが「秘密練習」、「特訓」の類のことであるなら、そんなことはできまい。わざわざプロを呼んでまでやっていることだし。P高校はそんなにレベルが高かったのか。
 
 

「ち、ちーちゃん、て、てかげんして〜・・・・・・・は、はにゃ〜〜」

 

 

 

 
そうしてみれば、こんな時間にやってくる自分は、自分の姿は・・・・・
陣中見舞いとか互いの健闘を誓約にきたとか事務連絡とかいうよりは・・・・
スパイに見える・・・・・・のではなかろうか。
そう思うと、桑島夏樹は角を曲がれなかった。そのそこに、相手がいるというのに。
 
 
「ほ、ほねが、ほねが、せかいがさかさに、あ、あ、あ、
ひ、ひわ、ひわ、ひわ・・・・」
 
 
日比野さんに容赦はないらしい。生まれてこの方聞いたこともないような奇声というか異声をあげさせているというのに、手をやすめようとしない。こ、こんなきつい性格の娘だったっけ・・・・・まさに、鬼!というか、プロである高梨美月さんがだらしないのか?
いや、けどデビュー以来、負け無しなわけだし・・・・実力は折り紙付きだ。
と、なると・・・これは・・・・これが・・・・現時点の日比野さんの力・・・・?
 
 
「こ、これ以上はもうご勘弁を・・・・・がく」
 
 
・・・・・昇天したらしい。まずい、救急車とか呼ばなくていいんだろうか・・・・
他校の生徒が呼ぶのも変だろうし、ここの地理をうまく説明できるだろうかとか、少し慌ててしまう桑島夏樹。いろいろ動揺が重なりすぎた。精神的に酸欠状態。
 
 
「あーあ、いっちゃったのね。ミヅキも幸せそうに・・・・・サヨ、今日はこれでクローズね。クールダウンして上がりなさい」
そこに、平然と場を仕切る声が。顧問の先生にしては声が若いし、何より発音などが日本のものではない。さっきまで指導していた声だ。「は、はい・・・ありがとうございました」サヨ、と呼ばれたのはたぶん後輩の子だろう。そして、P高校の外人といえば・・・・、たぶん、リサ・ランフォード。アメリカのアマチュアチャンプとかでかなり目立つ存在だった。話には聞いている。彼女もその肩書きどおり、本場仕込みの強烈なアメリカンパワーで強いらしい。ちなみに、高梨美月には負けたらしい。
 
 
(どうしよう・・・・)
この目で状況を確認できないことがはがゆい感じで、いっそ出ていこうとも思ったけれど、足が進まない桑島夏樹である。タイミングが悪すぎるし、対戦相手の特訓の様子をのぞき見る、というのはどうもスポーツウーマンとして、自分で許すことができない。いっそ帰ってしまおうかとも思うが、それもまた踏ん切りがつかない。
 
 
「チトセ、まだ、やりたいない?浮気のお仕置きもホドホドにしときなさいよ?」
「そ、そんなんじゃありません!あれは、いつものことです!最近、美月ちゃんが身体がなまってるとかいうから・・・・ちょっと特別コースを・・・」
「おかげでサヨのコンセントレーションが乱れてね、あの子もミツキにフォーリンラブだから・・・・フフ。やれやれ、新人戦が近いっていうのにね、コーチ役としては困るわ」
「そんなー、もうリサさんったら・・・」
 
 
そんな妖しい会話も聞こえてくるし・・・・・なんだか日比野さんのイメージが・・・
ここに来るべきではなかったのか・・・・懊悩する桑島夏樹。だが、そんなうっすら百合色の妄想も、すぐさま断ち切られる。
 
「そういえば・・・」
声の調子がふざけた軽いものから、真面目で真剣なものに変わったからだ。そう、リングで闘志をぶつけ合う、ボクサーのものに。
敏感に反応する桑島夏樹。
 
 
「チトセ、この前みせてもらった”あの技”・・・・もう一回やってみてもらえる?
攻略方法が思いついたから」
「いいですよ。かわせるものなら、かわしてください」
「前は、モロに当たったから・・・・あの角度は予想もできない・・・・
 
 
”あの技”・・・・いやがおうにも、耳が冴える桑島夏樹。リサ・ランフォードが全く反応できなかったテクニックとは・・・・って、ああっ!!これじゃ完璧にスパイ行為じゃないのよ〜!だめよ夏樹、日比野さんとの試合は正々堂々と・・・・と思いながらも耳を塞ごうとする前に
 
 
ひゅん。風切り音が。聞こえたような。
 
 
「あうちっっ!ブレインヘヴンストライク!!」
 
 
リサ・ランフォードの悲鳴が。しかも微妙に何語か分からない。
 
「直訳すると、・・・・”脳・天・直撃”?」
一人しかいないので、解説もこなさいといけない桑島夏樹である。
 
「・・・・それはいいけれど、脳天を直撃できるパンチって・・・・・・」
そんなものはないはずだ。よほどに身長差があって上から下に叩き込む・・・・そんなのんきな軌道を描いていたらその前に相手のパンチにやられるだろうし、かわせない道理もない。それなのに、事実、リサ・ランフォードは前回同様モロに喰らっておかしげな苦痛の声をあげている。
 
「あーうーちー・・・・・・・やられた・・・・・この技は、どうも身体が反応しにくいわね・・・・それに綺麗だし・・・・」
 
「大丈夫ですか、リサさん・・・・・ちょっと加減がむつかしくて。思い切り入っちゃいましたね・・・・ごめんなさい」
 
「?こっちが頼んだんだから、あやまることないけど。でも、チトセは見かけによらず、すごくアクティヴね。他の競技に移ってもかなりいいところいくわよ・・・・ハイ・レベルのオールラウンダー・・・日本人には珍しいタイプかも知れない」
 
 
「でも、今はボクシングがいちばんです」
 
 
「フフ・・・そう云うと思った。我が同胞(ステイツ)のために、将来のベルトの敵を減らしておこうと思ったんだけどね」
 
「あははは」
 
 
リサ・ランフォードからべたぼめ・・・・・アメリカ人は誉めるときはムチャクチャ誉めるというが、それにしても話が大きい。日比野さんは世界チャンプ候補、というわけか
今さっきのパンチのことを考えると・・・・なんというか、野球で云う「魔球」に匹敵する・・・・「魔パンチ」??・・・素人ならともかく、それなりの実力者が、来るのが分かっていてかわせないというのは・・・尋常な話ではない。日比野さんはそんなものまで編み出していたのか・・・・・・愕然とする桑島夏樹。自分もそれなりに努力をしていたつもりであったけれど、・・・・それは「つもり」でしかなかった。足が震えて、動かない。
 
 
「あの・・・・日比野せんぱい・・・・」
話の途中に後輩がやってきた。
「あれ?紗代ちゃん・・・・・どうしたの、まだ着替えてないの」
この時間まで指導されていたというのは、見込みがあるということだろうけれど、いい加減時間が遅すぎる。高校一年十五歳では門限もあろうし。しかも、体力的にももうギリギリのヘロヘロだろう。声にもあまり力がない。
 
「は、はい。日比野せんぱいにも、教えていただこうと思って・・・・」
 
「サヨ、熱心なのは評価するけどオーバーワークはよくないの」
 
「うーん、それにそろそろ校門がしまる時間だし・・・・」
 
「おねがいします!」
 
「うーん、これじゃあ家に帰してもランニングでもしそうな目ね・・・・明日はもっとメニューをヘビーにするとして、進捗度をチェックするってことで、チトセ、ちょっとスパーお願いできる?三分で一ラウンド、それで上がり」
 
「コーチのリサさんが言うなら。じゃ、紗代ちゃん、ちょっと待ってね」
 
「ありがとうございます!」
 
 
そんな会話を聞いていると、足の震えがおさまり、気も少しは静まってくる・・・・
引き上げ時だと思った。校門も閉まると言うし。桑島夏樹は。
ここまできたけれど、・・・・どうも、会えそうにない。手みやげの和菓子をどうしようかと迷ったけれど、置いておくわけにもいかないだろう。そんなことで迷う優柔不断さがいいかげんヤになってくる・・・・・が、そのうち、カーン、とゴングが鳴る音がした。
 
 
 
帰ろう・・・・・
 
足が校門に向く。もうかなり暗くなっている。何しにきたのか・・・・・当初の目的はまったく果たせず、それなのに、日比野さんの情報はたくさん入手してしまった・・・・
知らぬままに対戦していたら、あまりのレベル差に相手を失望させただろう。
 
 
まだ試合まで日がある・・・・・特訓しよう。たとえ力の差があっても、戦う前から負ける気でいてはだめだ!ほそい糸くらいだとしても、勝機は必ずあるはず・・・・
日比野さんだって同じ高校生だし、神様じゃあないんだから・・・・・
そう己を鼓舞する桑島夏樹に追い打ちをかけるように
 
 
「パンチが触れてないのに・・・・サヨが倒れた?」
 
リサ・ランフォードのオーマイゴッド!!な驚愕の声が、背中を刺し貫く。
 
 
「そ、そんな・・・・・」全身から力が抜けていく・・・・そんなバカな話があるわけがないと、そんな神様領域な話なんて・・・信じたくない・・・出歯亀といわれようが今スグ、この目で状況を、真実を確認したい思いに囚われるが、
 
 
できなかった。そんな勇気がわいてこない。
じわ。涙が滲みでてくる。
 
 
とりあえず、あまりのショックに、泣きそうになりながら走って帰る桑島夏樹であった。
 
 
 
<つづく>
 
 
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