「やりにくいなぁ・・・」
先にリングに上がっていた美月がつぶやいた。

今日の相手「須上 聡里(すがみ さとり)」は保母さんをしているらしく、たくさんの子供たちとその父兄さんが応援に来ていた。
さらには園児たち手作りの横断幕を掲げられ、聡里がリングインした後は子供たちの花束贈呈付きときた。
園児たちの声援ににこやかに手を振ってこたえる聡里。

「美月ちゃん、大丈夫?」

美月が所属するジムの会長、七星(ななぼし)かなえが声をかける。

「おい、雰囲気に呑まれるなよ」
セコンドについている文月がぺしんと美月の頭をはたいた。

「いてっ!だ、大丈夫大丈夫、全然気にしてないっすよ」
といいつつ少し声が上ずっていた。
ボクシングの試合にちびっこ達の声援という少々場違いな雰囲気に少々戸惑いを感じていた。
あぁ・・・ヒーローショーの悪役ってこんな感じなのかな・・・もし私が勝ったら子供たち泣いちゃうかな・・・
頭の中をぐるぐるといろいろな事が駆け回っていた。

こいつ、また悪い癖が出てるな・・・。と長年美月と付き合いがある文月は思った。
美月は普段おちゃらけているが、あれこれ考え込んでしまったりと少々メンタル面の弱さがあった。
そのためプロでは3戦しているものの、アマチュア時代の戦跡は少々微妙であった。
こういう時の試合は大抵苦戦するかあるいは・・・。

「美月ちゃん大丈夫かな…」
応援に来ていた千歳が観客席から心配そうに見つめていた。

「この会場の雰囲気に流されてないといいけどね・・・あいつすぐ気が散るから」
と、千歳の隣のリサ。

「う〜よし!私たちも負けずに応援しよう!」
美紗緒が思わず席を立ち声をあげた。

「おう」
「そうだな」
「高梨ー負けんなよー!」
「美月ちゃーん!がんばってー!」
千歳たちや応援に来ていたクラスメイトたちが声援を送る。

「みんな・・・」

「ほら、美月ちゃんにも千歳ちゃんや皆がついてますよ」

「そうですね・・・よっしゃ!」
バン!とグローブあわせ気合を入れ、片手を挙げて皆の声に答えた。

「両者、リングの中央へ」
レフェリーに促されリング中央で向かい合う二人。

「よろしくお願いしますね、お互い良い試合をしましょうね」
聡里がやさしい笑顔で美月に声をかけてきた。これからボクシングの試合をするというよりは幼稚園のお遊戯をはじめるかのようだった。

「ど、ども、こちらこそよろしく・・・」
この人は・・・これから殴りあうという相手になんて笑顔をみせるんだ・・・惚れてしまうやろっ。
天使のような聡里の笑顔に試合前からノックアウトされそうな美月だったが・・・

はっ

リング外から言い知れぬ殺気を感じ取った美月は慌ててコ−ナーに戻りグローブで顔を叩き気合を入れなおした。あぶないあぶない・・。

カーン!

そうこうしているうちに第1ラウンドのゴングが鳴った。

つづく

 

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